始まりは大学1年の冬❄️わたしは吐いた。見境なく食べたいものを買い漁り、何かのスイッチが切れたかのように食べ尽くし全てを吐き出した。近くの公園で誰にも見つからないように。きっかけは若かりし頃によくあるほんの少しの恋愛物語。振り向いて欲しい人にどんな手を尽くしても振り向いてもらえない、そんなよくある話で大したことのないこと。
でも爆発した種は、この失恋ではなかった。ここには後に知ることになる幼少期からのわたしの生き方が大きく影響していたのだった。そして当時のわたしは、今まで追ってきた心の傷が悲鳴を上げてしまった結果の始まりになっていくこと、精神的に病んでしまっていることに気が付いていなかったのだった。
これはわたしの「求められていないと不安」「自分の理想や価値観がすべて」「愛されていたい」という強い気持ちが引き金になったものだった。幼少期から結果や努力、ブランドや価値を求められ、結果が出せないととても不安になった。家は決して裕福ではないけれど勉学と剣道に関しては常にトップを期待されていた。剣道は特に、母が全国レベルのタイトル保持者で小学校から吐いても終わりはないほどに厳しく鍛えられた。アスリートのような環境を作るには、結局お金もかかるものでわたしに費やした教育費は何億になっただろうかというぐらい。父は借金に相当苦しめられたとのちに知る。遠征、合宿、身体を作るための食事、トレーナー、一流の防具…それもこれも母の一存であった。わたしの中でも他の子たちとは世界が違うんだ、という孤独な思いに変わっていった。寂しさは、結果を出して埋めないと。両親が喜ぶ姿を見て自慢してもらえるほどの優秀な娘でいないと、というプレッシャーになる。自分に課す使命になっていた。母は特に常人を嫌って、小馬鹿にする姿が目立つタイプだった。母の理想に近づかないと。全部が両親からの期待の為で、自分が悔しいからとか、日本一になりたいからなんて少しも思ってはいなかったのだ。幼いながらに期待に応えられないと捨てられる、あきれられる、がんばるしいい子でいるから「わたしのことを見て大好きでいて」そんな歪んだ愛を幼少期に作ってしまった。小さい頃に友達と遊ぶ、恋愛をする、買い物をする、外に出て社会を体験する、そんな要素から切り離されると、子供が頼り学ぶ先は親になる。親の教えとその狭い世界が自分のすべてになってしまう。親の言うことがすべてとなり、自分の意志を話したり、何かを自分の意志で決めて実行する必要がなかった。それはのちに大きな代償になる。そして中学からは、唯一の愛の繋がりである両親から離れ遠い地で下宿生活をする。心がつぶれるほど泣き、孤独の中で十分に甘えることも知らずに自立することを強いられた。わたしは日本一になるために期待された特別な存在なんだ、と。
結果作り上げられた人格は、大人になるにつれて「他人軸」「人の顔色を常に伺い空気を感じる」「誰かに対して期待されていたい」「優秀でいるべき」「愛されたい、好かれたい」「努力が美徳」常に他人を意識した、自分を持たない誰かに左右され続けるものと成長した。周りから見れば、優しくて素直で頑張り屋さんのいい子ちゃん🌿
さて、わたしはここからどんな人生を歩んでいくんだろ😯


⬆️小学の頃のわたしの学校日記
何年生のものか分からないけど、記憶にはないが寂しいという気持ちを抱いていたのだろうか…やはり母への愛着、執着の原点を感じられるもの。
過去の自分よしよし🍬